2005年2月21日。
片足つっこむどころか、
片手だけを残して棺おけに入っているような状態で、
しぶしぶ病院へやってきた。
車の窓、移りゆく景色を見ながら、
「次、こんな風に外を見れるのはいつになるかな。最後やったりしてね。。。」
と、思ったのをすぐに「そんなわけないよ!」と振り払った。
予約の患者さんをすっ飛ばして診察してもらい、即入院。
あの頃はまだ高校生で、
卒業後、大学で英語のクラス分けテストがあるので、
私は色々検査をしてから死にかけの身体を起こして、
勉強をした。
先生や家族に「今は勉強とかしない方がいいよ」と、
言われたのに「いえ、大丈夫です。テストがあるので!」と、
張り切って答える私。
遠まわしに「危険だからやめなさい」と言われているとは、
まったく気付かない18歳のあゆであった。
その晩、告知を受けた。
父の口からだったが、プロフにも書いてあるように、
「あぁ、そうか」という風な反応。
でも今思い起こすと、
一瞬思考が止まって、呆然としていただけなのかもしれない。
「わかった。がんばる」
一呼吸置いて、「たまにお見舞いに来てな」と付け加えた。
私が発した言葉はコレだけで、あとはポロンと1つ2つ涙が出た。
そして22日から抗がん剤投与が始まり、
「この世にこんなにしんどいことがあっていいのだろうか」
と驚愕し、初めに決めた覚悟なんて、
想像を絶しすぎる治療の前では何の意味も持たなかった。
一人で歩くどころか起き上がることさえできず、
情けなさと惨めさにも襲われたが、
とてつもない吐き気、めまい、出血、鉛のように重い身体...。
身体はすでに私の意思が届かなく、
情けないなんて言ってられなかった。
意識がなくなればいいのにと何度も思ったが、
人間の身体って案外つえぇ。
5日間、そんな状態が続いたが、
私は一度だって、ほんの1mmだって、
自分が死ぬと思わなかったし、思えなかった。
私には約束があった。
友達3人で、60歳になったら一緒に暮らそうね!って。
私は庭に映画館を建てて、
友達は野菜畑やおいしい料理。
1年に1回は海外旅行!!
私は本気でそうするつもりだったし、今でもそうしたいと思ってる。
だから、約束を破るわけにはいかない。
「死んでたまるか!」とか「死にたくない!」とかじゃなく、
「生きる」ということを一転の曇りもなく信じていた。
1つも絶望せずに、希望に満たされながら初めての治療を、
がんばれたのは、本当に幸運だった。
今、思うと、あの危機的状況から脱し得たのは、
もちろん先生のお陰が大半だけど、
「死」を思わず、「生きる」と疑わなかったからじゃないかな、と思う。
生きるというのは、楽しいことばかりじゃないし、
むしろ苦しいことばっかりで嫌になることもある。
だけどもう、「死にたい」とは思わない。
だって、「生きていいよ」と言われたら、
すごくすごく嬉しかったから。
これから先の困難も「生きてるからいっか!」って、
笑い飛ばせるくらい図太く生きていけたら、
こんなにいい人生はないかもしれないね!
でも、今日が丸2年ってこと、
家族が誰も知らんかったことにはちょっとびっくり。。。
ま、「生きてるからいっか!」。笑
あと1回、4月の治療もやってやんべぇ〜!!
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