DIARY
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2007年2月27日(火)
一万件☆
ヤッタ―――!!!!!ヾ(゜▽゜)ノ!!!!!一万件突破☆
 
みなさまのご愛顧に感謝いたしまして、
わたくし、えーっと、その、これといって何もしませんが、
ありがとうございますーーーッ☆
 
嬉しおすぅ♪
 
 
という気に浸っていたい私に、
強烈右ストレートをかました奴がひとり。
「お名前は??」と問う私に、
「名乗るほどの者じゃございやせん」
と言ったか言わなかったか、
私は彼の名は知らない。
が、しかし彼を忘れることはできないだろう。
 
なぜなら。。。
 
私は。。。
 
今日。。。
 
 
 
「おばはん!!」
 
 
と叫ばれたのだぁぁぁーーー!!!!
 
てんめぇ、このガキャ〜!しばくぞっ!!
 
ホンマ、何やねん。ドチクショーッ。
 
 
・・・まぁまぁ、落ち着け、私。
みなさまに事のいきさつをご説明しようじゃありませんか。
それは本日午後5時半。
知人から預かっている犬の散歩をしていると、
たそがれ時に一人の少年(推定年齢8歳)が、
静かな住宅街の一角にある田んぼで、
ポツンとしゃがんでいるのを目撃した。
 
≪もう薄暗いのにひとりか。ちょっと気になるな・・・≫
 
「何してんの?」
 
言ってみた。
 
私って実はガキんちょ好きなんだよね。
この前も近所の少年少女と凧揚げとか鬼ごっこしたしね。
楽しかったな〜。
少年少女よりずっと高く揚げたったけどな!
本気ダッシュで追いかけたったけどな!!
 
しかしその少年は明らかに私を怪しんでいた。
ま、そらそうや。
私はマスク・帽子・メガネという、
「不審者・三種の神器」を装備しているのだ。
偉いぞ、少年。
怪しい人を怪しいと判断できるとは、
一歩大人になったな。
 
そこでいつもなら少年少女らは私に悪意がないのを感じ取ってくれ、
警戒しつつも仲良くなるのだが、
今日ばかりはこの私も予想外だった。
ソフトバンクより予想外だった。
 
その少年は、じっと私を見据え、
見据えた後ガバッと立ち上がって、
 
「知らんおばはんやーーー!!!」
 
叫んで逃げて行く少年。
しかも半笑い。
 
 
 
 
 
 
絶句。
 
 
 
「声かけよう!みんな大事な自分の子」
 
という自治体の看板が嫌味に立っている。
「おば、おば、おばハンて・・・。
いやいやでもな、こんな格好じゃ年齢なんて分からんよ。
ほんでこの服装、部屋着やし。
部屋着って老若男女みな一緒やん?
てかジャージやん??」
 
とぼとぼと重たい足を引きずり、
気付けば散歩コースを1周していた。
 
と、顔を上げるとまたしても先ほどの少年!!
来たな、ガギんちょ!!
身構える私に、少年はかわいい声で、
「ここ誰のおうちぃ??」
予想外っ!!!
なんかちょっとなついてる!?!?
・・・・嬉しいww
でも残念ながら誰の家か知らない。
「さぁ、知らんわ〜。(君は)この辺の子?」
と聞くと少年、固まる。
 
や、やっちまった。
せっかく声かけてくれたのに、
また警戒してるっ!!
 
少年「・・・ちがう」
 
絶対ちがうくないやんっ!
あーあ、完璧に心を閉ざしてる。。。
これ以上しゃべってもますます警戒されるし、
しゃーない!
「ほな、バイバイ」
と言った。
 
すると・・・
 
「あっち!あっちに住んでるねん!バイバーイッ!!」
 
走り去る推定8歳の少年。
その背中を見つめ、
おばはんと言われた二十歳は、
ホロッと口元がほころんだ。
 
 
ま、おばはんでもいっか☆
 
 
 
2007年2月24日(土)
大阪城の梅林…とおかしなおっちゃん
華農玉蝶
大阪城の桜は有名だけど、
果たして梅はあるのだろうか。
「梅が無くても自称戦国武将の私は天守閣に登って太閤さんの気分を味わってやろう♪」
とあまり期待せずに行ってみたら・・・
 
「梅林あっち→」という看板発見。
やりぃ〜♪
大阪城公園を上ったり下ったりしてるうちに、
坂の上に来た。
チラと下を見ると・・・・
 
ぅは〜〜〜〜〜っ
 
満開の梅がまるでお花畑に見えるほど、
たくさんの梅の木!
めっちゃキレーーイ♪
 
急いで坂を下って梅林に足を踏み入れると、
ほんのり香る梅の香り。
マスクしてるのがもったいないんだけど、
そこは身を守るため仕方ない。
 
梅林を見てまわっていると、
突然声をかけて来る人がいた。
「どっから来たんや〜?」
初老なんだけど背の高い、清潔感のあるおっちゃん。
「ウチら大阪やでぇ」と答えると、
「そうか。君らこれどういう梅か分かるか?」
と目の前の梅ノ木の看板を指差し、
謎の問いを投げかけてきた。
 
「華農玉蝶」―かのうぎょくちょう
 
う〜ん。。。
友達「ちょうちょ?」
あゆ「ちょうちょのような華?」
と言うと謎のおっちゃん大喜び!
「おぉ!君らかしこいな!この梅はな・・・」
と華農玉蝶について説明してくれた。
 
華農玉蝶は花の中にさらに花が咲くという、
非常に珍しい花だそうで、
日本に3箇所、大阪城公園と岡山(?)とあとどっかにしかないらしい。
近畿大学の元教授が中国で頼み込んで無理やり
持って帰ってきたんだって。
花の中心にある丸い玉のようなものがその蝶らしいが、
華農玉蝶の木に1つ2つしかそうならないため、
見られるのはとても幸運だって言ってた。
 
おっちゃんはその教授と友達だと嬉しそうに言ってていて、
気付けば梅ノ木の下で一緒に甘酒を呑む仲になっていた。
おっちゃんは顔が広くて、
「ここいらでは『平成の秀吉』『Leicaのおっちゃん』て呼ばれてるんや」
ガハハ、と笑っていろいろな話を聞かせてくれた。
 
と言うか、ほぼ下ネタ!!苦笑
私は閉口してしまい、現実逃避。。。
あまりにキレイに揃えられたおっちゃんの口ひげを見つめ、
≪毎朝15分は洗面所にいるタイプだな≫
≪カミソリと小さなハサミを駆使してこの口ひげは完成されるのだろう≫
≪というか、奥さんは口ひげに賛成なのだろうか?≫
などなど考えているうち、
時は過ぎ、日が傾いてきた。
 
てか、寒い!!!
 
肩や足をさすって『寒いですよぉ〜』アピールをするが、
話に夢中なおっちゃんは気付かない。(フリ?笑)
そして話し疲れたらしいおっちゃんは、
「ほんで、君らどこ行くんや?」
と来た。
おいっ!
本来なら、
友達とお弁当の交換をしたりしながら梅を見て、
寒いからすぐ大阪城に登ろうという話だったのだか、
おっちゃんの前でふたりだけご飯を食べるわけにもいかず、
もうすでに太陽は西に。。。
 
「大阪城に登ろうと思ってんねん」
というと門まで送ってくれ、
近くに停めてる車から、
『花占い』という新刊の本をプレゼントしてくれた。
 
なんやかんやで、ケータイ番号を交換して別れた。
こういうのを『意気投合した』というのだろうか。。。謎。笑
でも楽しかった☆
 
そして私は、
大阪城攻めにようやく本腰を入れる。
まずは腹ごしらえ。
昔から腹が減っては戦はできぬというからのぅ。
大阪城を背に、
持参の兵糧を口にするワシら。
 
その瞬間、私の友も同じく戦国武将になっていた。
昨日の敵は今日の友。
昨日の友はもしかすると今日の敵。
時は戦国。油断大敵。
「おいしいな〜!玉子焼き上手やん♪」
「ほんま〜?嬉しいわ。あゆのエビチリもおいしいで」
などという会話の中にも、
両者の間で水面下の駆け引きが存在する。
 
訳せばこうだ。
「おぬしは口当たりは良いが、果たして内実はどうかな。
相当な剣の使い手と拝見する」
「ほっほっほ、それは光栄だ。
しかし本心ではあるまい。おぬしこそ腹が知れぬわ」
 
怖い、怖すぎる。
しかし難攻不落の大阪城を前に、
たった一騎で攻め込むのは愚の骨頂であろう。
しかたあるまい、ひとまずこの武将と組むとしよう。
しかし攻め落とした暁には、
我こそが将軍ぞぉぉぉぉ!!!!
 
いざ、出陣!!!
きやつに遅れは取らぬっ!
 
ガラガラガラ〜
 
え?いやいやいや。
それはない。ないね、ないよ。
だってまだ5時になってないじゃん。
5時でしょ。
5時って書いてるよ、ここに。
え?何?
・・・そう、なの??
へぇ〜、入館は4時半までなんだ。
あ、そう。
 
敵の守りは堅いぞぉ〜〜!!
覚悟してかかれ!!!
 
っちょ、タンマ。
うそうそうそ!!
ちょっとふざけてみただけ、みたいな?
いつまでも少年の心で、みたいな?
 
はい、じゃ、また来ます。
2007年2月22日(木)
外来
白血球:4150
赤血球:384
Hgb :12.3
血小板:33.3
好中球:69.5%(2670)
 
昨日の外来での血液検査。
な、な、なんと!
 
全部正常値〜〜〜〜〜!!!!!
イェィーーッ(ノ≧▽≦)ノ↑↑
ゲッツゲッツ!!!
 
ギリですが、全部下限値を上回っております♪
貧血もないんだよ!
安心♪安心♪ぃやっほ〜い♪
 
そしてそして、
「3月は入院せんでいいわー。当分遊んでおき。」
とは、T先生のお言葉!
っしゃー!!
 
来週か再来週には入院かと思ってたんやけど、
2年経過したので、
3ヶ月も間を空けてくれることになりましたのだ☆
2007年2月21日(水)
今日で入院して丸2年
'05.2.21のカレンダー
2005年2月21日。
片足つっこむどころか、
片手だけを残して棺おけに入っているような状態で、
しぶしぶ病院へやってきた。
 
車の窓、移りゆく景色を見ながら、
「次、こんな風に外を見れるのはいつになるかな。最後やったりしてね。。。」
と、思ったのをすぐに「そんなわけないよ!」と振り払った。
 
予約の患者さんをすっ飛ばして診察してもらい、即入院。
あの頃はまだ高校生で、
卒業後、大学で英語のクラス分けテストがあるので、
私は色々検査をしてから死にかけの身体を起こして、
勉強をした。
先生や家族に「今は勉強とかしない方がいいよ」と、
言われたのに「いえ、大丈夫です。テストがあるので!」と、
張り切って答える私。
遠まわしに「危険だからやめなさい」と言われているとは、
まったく気付かない18歳のあゆであった。
 
その晩、告知を受けた。
父の口からだったが、プロフにも書いてあるように、
「あぁ、そうか」という風な反応。
でも今思い起こすと、
一瞬思考が止まって、呆然としていただけなのかもしれない。
「わかった。がんばる」
一呼吸置いて、「たまにお見舞いに来てな」と付け加えた。
私が発した言葉はコレだけで、あとはポロンと1つ2つ涙が出た。
 
そして22日から抗がん剤投与が始まり、
「この世にこんなにしんどいことがあっていいのだろうか」
と驚愕し、初めに決めた覚悟なんて、
想像を絶しすぎる治療の前では何の意味も持たなかった。
一人で歩くどころか起き上がることさえできず、
情けなさと惨めさにも襲われたが、
とてつもない吐き気、めまい、出血、鉛のように重い身体...。
身体はすでに私の意思が届かなく、
情けないなんて言ってられなかった。
意識がなくなればいいのにと何度も思ったが、
人間の身体って案外つえぇ。
 
5日間、そんな状態が続いたが、
私は一度だって、ほんの1mmだって、
自分が死ぬと思わなかったし、思えなかった。
 
私には約束があった。
友達3人で、60歳になったら一緒に暮らそうね!って。
私は庭に映画館を建てて、
友達は野菜畑やおいしい料理。
1年に1回は海外旅行!!
私は本気でそうするつもりだったし、今でもそうしたいと思ってる。
だから、約束を破るわけにはいかない。
 
「死んでたまるか!」とか「死にたくない!」とかじゃなく、
「生きる」ということを一転の曇りもなく信じていた。
1つも絶望せずに、希望に満たされながら初めての治療を、
がんばれたのは、本当に幸運だった。
 
今、思うと、あの危機的状況から脱し得たのは、
もちろん先生のお陰が大半だけど、
「死」を思わず、「生きる」と疑わなかったからじゃないかな、と思う。
 
 
生きるというのは、楽しいことばかりじゃないし、
むしろ苦しいことばっかりで嫌になることもある。
だけどもう、「死にたい」とは思わない。
だって、「生きていいよ」と言われたら、
すごくすごく嬉しかったから。
 
これから先の困難も「生きてるからいっか!」って、
笑い飛ばせるくらい図太く生きていけたら、
こんなにいい人生はないかもしれないね!
 
 
でも、今日が丸2年ってこと、
家族が誰も知らんかったことにはちょっとびっくり。。。
 
ま、「生きてるからいっか!」。笑
 
あと1回、4月の治療もやってやんべぇ〜!!
2007年2月9日(金)
周平さん
告白します。
実は前から少し気になっていました。
05年の10月、
初めて彼を見た私は、
少女のように心をときめかせました。
 
でも彼はとても人気者で、
たくさんの人が彼を見るために足を運んだり、
そう、たまにTVにも出ていたり。。。
 
天邪鬼の私は、
「今、話題だから人気があるのよ」と、
心では彼のことを想いつつ、
とうとう近づかけないままになってしまっていました。
それでも時々は彼を見かけることもあったのですが、
私には他にたくさんのやるべきことがあり、
彼の事は胸の奥にしまったのでした。
 
そして、一昨日の夜
またしても彼を見かけました。
不覚にも、私の心は揺れ動きました。
「もう彼のことは忘れよう。私には遼太郎さんがいるんだ」
そうです。
そうなんです。
私は遼太郎さんという、
類稀なる才能に恵まれた彼の考え方に憧れ、
闘病中もいつも励ましてくれた彼の事を、
すべて知るまでは他に目移りはしまいと、
心に決めていたのです。
 
でも目の前には周平さんが。
美しい姿。
美しい響き。
あぁ、どうしよう。
私は自分の心を抑えがたくなって、
ついに彼の背にそっと手を触れてしまったのです!!
 
ざっと彼を見て、
私は心を決めました。
「遼太郎さんなんてかまうものか。
私は今、いえ!ずっと前から彼のことが知りたかったの。
もう自分にウソはつかない!」
 
そう心で叫び、気が咎めないうちに、
私たちは足早に向かった。
 
そう、レジへと。
 
レジの店員は私たちのことをどう思っただろうか。
「カバーはお入用でしょうか」
やっぱり逃避行に見えるのかな。
≪隠れ蓑は必要か≫、なんて...
「・・・はい、そうですね」
人に隠さなくてはならないことなんて何一つなかったが、
なんとなく一目を避けたいような気もしてそう答えた。
 
そしてダッシュで家に帰り、
夢中で彼を読んでいると、
気付けば朝を迎えていた。
そして今日も一日中夢中で読んでいたら、
いつの間にか470ページある、
彼を読み終えてしまっていた。
 
そして藤沢周平の「蝉しぐれ」は、
私のお気に入りの小説ベスト3にランクインしたのであった〜!
ちなみにベスト1は司馬遼太郎の「燃えよ剣」です!!
 
2007年2月4日(日)
枇杷の会
体調=微妙。。。
    貧血ぎみで頭痛+疲労感+なんだか気分も冴えない
    
 
 
 
31日、同じ病院の同じ病気のお友達とランチでござんした。
 
みなさんすっごく良くしてくれていて、
今回は私の成人のお祝いをしてくれました!
イタリアンのお店を予約してくれていて、
キレイなお花とクリスタルのネックレスをプレゼントしてくれたのでした!!
 
これはヒデキでなくともカンゲキッ!
 
こんな若輩者を可愛がってくださいまして、
わたくしは幸せモノでござります。
 
 
そしてタイトルの『枇杷(ビワ)の会』とは、
この患者さん仲間たちのことです。
今さっき名づけました。
ハイ、そうです。
私の一存です。
枇杷の会のみなさまはご存知ありません。
だって今つけたんだもん。
 
何故、枇杷かというと、
「何にしよ〜かな〜。牡丹とか?百合はどう?」
などと考えていると、
「ん?牡丹って縁起はどうなんだっけ。てか百合って病院にダメじゃん」
ということに気付き、妹に相談すると、
「花言葉で選べばいいやん」
と、至極的確な助言をたまわり、早速ネット検索♪
 
テーマを健康にしぼり検索した結果、以下の候補があがりました。
 
アジサイ
アロエ
アマドコロ
アマ
セイタカアワダチソウ
ヤツデ
マリーゴールド
ムスカリ
ビワ
 
中でもセイタカアワダチソウは『生命力』『元気』などで、
ダントツでいい花言葉!
が、しかし想像してみよう。
 
ピロピロピロリ〜ン
「もしもし、お久しぶり〜!
今度の日曜日に『セイタカアワダチソウの会』でランチしない〜♪」
「いいですね!
『セイタカアワダチソウの会』は楽しいですからね〜」
 
 
 
長げぇ。
 
却下。
その他の花は「健康」以外に「失望」「挫折」などなど、
ネガネガってる花言葉がもれなくついてくる。
「どうしたものかな〜。」
PCに向かって得意の独り言を吐く私。
しかーし、
よくよく見ると、
その中でひときわ異彩を放つある果実が、
私の心を捉えて離さなかった。
 
その名は枇杷
 
 
【枇杷】 治癒 温和 あなたに打ち明ける
 
 
ケッテーーーイ!
 
ということで、
仲良くしてくださっているS病院の血液内科病棟所属の
患者さんたちの集まりを『枇杷の会』と名づけます!
 
 
ま、きっと誰も使わないだろう。
でもいいのだ。
楽しく生きるコツは自己満足さ♪
 
 


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