Profile
name:あゆ
age:21
disease:急性単球性白血病(M5)
get sick:2004年11月?
found out:2005年2月22日
descharge:2007年7月2日
 
2008/6/28


 
           
 


わたしの治療方針
  化学療法(抗がん剤治療のこと)で2年間入院。2年目から1クールごとに1ヶ月ほどの休憩が入る。
  各治療の度に検査をして、悪くなり次第骨髄移植。
  
   退院後は月1ペースで外来で検査。自宅で抗がん剤を服用するかは、検査次第。
   発病から5年間再発がなければ、完治。
    
   再発した場合、寛解(安全な状態)になれば母から骨髄移植をする。
 
 
 わたしの骨髄移植
  再発の可能性が十分にある標準リスクに入り、病気の種類も予後が悪い。5年生存率は移植をしたほうが高い。
  けれど抗がん剤治療が順調なので、判断が難しい。
  「甘い希望かもしれないが、このまま治ることを信じて抗がん剤治療でがんばりたい。」
  と決めて、2年半の抗がん剤治療をがんばった!
  
  
 


〜入院〜
 
 平成16年冬、私は18歳の高校生だった。大学の推薦を取っていたので、残りの高校生活を謳歌していたころ、体は病に侵され始めていた。
 そんなこと知る由もなく普段どおりに活発に日々を送っていたが、11月ごろからチャリ通が辛くなってきて、「何だか体力落ちたな〜」などと思っていたら、12月の初めに引いた風邪を年が明けてもずるずると引きずっていたりと、いまいち体調が良いという日がなかった。
 そのうち膝や肘に身に覚えのない大っきな青アザがいくつもでき、突然鼻血が出たかと思うと30分では止まらないということが起こり始めた。「体がおかしい」とは毎日感じていたけど、体の悲鳴を黙殺し続けた。そのことで後々ひどく後悔するとは、思ってもみないふつうの女子高生だった。
 放っておくとお腹がぷっくりと膨れ上がり、青白い顔をしてめまいと息切れ、極度の疲労感倦怠感に襲われるようになり、「病気なのかな」と思い始めた。けれど、それまで元気者だった私はそれを否定してしまった。「こんなことに負けてたまるか!」とやせ我慢を続け、2月には歯茎から出血し、骨の痛みは激痛に変わり、夜は布団を噛みしめてこらえるようになった。
 そんな状態にもかかわらず、病院へ行くどころか旅行へ出かけ、帰ったその日に何度かも分からない高熱を出して倒れた。リンパ腺は腫れ上がり、眼底出血、血尿、とありとあらゆる出血が起きて止まらなくなった。
 
 近所の診療所へ行くと先生があわてた様子で総合病院の紹介状を書いてくれ、病院へ行くと即刻入院、骨髄穿刺をして急性単球性白血病だと分かった。『あぁ、やっぱりか』と思った。尋常じゃないことは誰よりも自分が一番分かっていたからショックではなかった。
  
 後日聞いた話によると、この単球性白血病は、薬が効かないタイプで、しかも白血球が90,000という信じられない状態だったので(健康な人は7,000程度)、「明日まで持つかどうか」というところまいってたそうだ。
 だけども何故か薬が劇的に効いて命拾いをした。これは奇跡かもしれなく、もちろん前例はない。ということで私が第一人者だ♪
 一命を取り留めたものの、がん細胞が中枢神経に入り込み、再発の可能性が高くなる中枢神経白血病(CNS)を起こしていた。気付いていたのにそれを認められずに見ないようにしていたからだった。本当にバカなことをしたなぁと反省する.........
 
※皆さん、もしもこんな症状が出たら、即時病院に行ってくださいね!!この症状じゃなくても少しでも異変を感じたら、絶対に病院へ相談に行ってください。体は賢いので、病気だったらちゃんと教えてくれます。実体験を元にお伝えしました★
 
〜退院〜
 
 2年4ヶ月。間に数ヶ月、自宅に帰ることもあったが、長い長い月日だった。
 入院前に諸症状があったが、本当の苦しみは病院で待っていた。最初の1年は思い出すのも躊躇するほど苦しい日々。とかく吐き気は酷く、抗がん剤を始めて1週間で体重が5kg落ちることも少なくなかったし、その間まったく飲まず食わずということもあった。1秒1秒を耐え忍ぶことだけが、自分にできる唯一のことだった。
 怖いことも、痛いことも、しんどいことも山のようにした2年。でも、悪いことばっかりじゃなかった。自分が大事にされてるということ、家族にとって『家族』だということ、たくさんの人に出会えたこと、私自身が前より人に優しくなれたこと。そして、この2年を弱音を吐かずにがんばれたことは、これから何よりも強い自信になると思う。
 まだ完治ではないけど、心配してても仕方ないから毎日を元気いっぱい、明るく笑って生きていたい!
 生きるってスゴイことやで!!!
 
    平成19年7月2日
 
 
 
 
 
 
 
 

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