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私にとって…
私はこどもが好き。
近所のこどもたちと遊ぶのも好き。
入院中、しんどくてしんどくて、どうしてもダメになりそうなとき、
未来の自分のこどものことを想った。
「私が死んだら君に会えないよね。君に会いたい。だから死なないよ、絶対に」
化学療法での治療がうまくいったものの、再発→移植、となる可能性がないワケじゃない。
CNS(中枢神経白血病)をやったから、
万一移植になれば、放射線の全身照射をせざるを得ない私は、
卵巣の機能を失うことは確実らしい。
こどもができないなんて、考えられなかった。考えたこともなかった。
私のママが私に生を授けてくれたのと同じように、
私も新しい生を授けるものだと、当然のように思っていた。
未受精卵子を保存しても、
妊娠できる可能性はほとんどないと聞いたけど、(事実ではない)
限りなくゼロに近い可能性だって何だって、
パーセンテージなんかは気にならなかった。
治療中、化学療法か移植かを自己決定するとき、
「移植するなら、絶対に卵子保存をしないと踏み切らない」という、
想いが強かった。
―1度目の挑戦―
’07年7月、無事、化学療法が終了・退院し、
未受精卵子保存を行っている藤野クリニックを受診。(「それから日記」7/26参照)
退院して「私はもう治った」と思ってる中では、
なかなか切実に保存しなければ!と思うことは難しかったけど、
後悔だけはしたくないと、自分を励まして、
9月末に採卵に挑戦した。
だけど、卵子がなかったと言われた。
失敗。
こんなに悲しい気持ちになるなんて思わなかったのに、
本当に本当に悲しかった。
「次、がんばりましょう」
という先生の言葉に、素直にうなずけなかった。
「2週間程度したら、また来てください」と言われたのに、
結局、行く気にはなれなかった。
―これから―
考えるのがしんどくて11月になっても、
どうするか決められないでいたけど、母と話して、
「気持ちがついていかないなら、その気になるまで待とう」
ということにした。
今、無理にチャレンジして、
また失敗したら、きっともう諦めてしまうだろうから。
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―身近な方々へお願い―
私にとってデリケートなことですので、
お会いしたときなど、
ここに関することへのご質問などは、
ご配慮いただけますよう、お願いいたします。
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